子供ばんど

- Kodomo Band -

Profile

子供ばんど - Kodomo Band -

うじきつよし(Vo&Gt)、谷平こういち(Vo&Gt)、湯川トーベン(Vo&B)、やまとゆう(Vo&Ds)

 

<2011>

デビュー当初のメンバーで、バンドとしての再始動を宣言。

4月に開催される「ARABAKI ROCK FEST」に出演予定だったが、大震災の影響で開催延期。

そのショーケースとして当初予定していたヤマハ銀座スタオのライブはそのまま敢行、再始動のお披露目を 2日間に渡り、各 200名の限定で行う。

北海道『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2011 in EZO』に出演。

8月には、各方面の尽力によって無事開催となった「ARABAKI ROCK FEST」に出演。

10月25、26日の2日間、日本武道館で開催された寺岡呼人氏プロデュース『Golden Circle vol.16』に出演。競演した「子供ばんど・チルドレン」とも言える、ジュンスカ、ユニコーンのリスペクト・アーティストとして、大トリを出演者全員参加の『サマータイムブルース』でしめる。

 

<1988>

アルバム『KODOMO BAND ROCK』をバンクーバーでレコーディング。移籍したビクターレコードより発売。

10月10日、2000 本ライブ達成。活動休止。「全て出し切った」(うじき)。

 

<1987>

勝が脱退。再びベースで湯川が参加し、『BEFORE ZERO』発表。

 

<1986>

ギターで杉原博ヒロシが参加。アニメ『世紀末救世主伝説 北斗の拳』劇場公開版の主題歌『HEART OF MADNESS』を発表。

レコーディングの場を日本に戻し、アルバム『120%PURE』完成。

テレビ・アニメ版主題歌「SILENT SURVIVOR」(アルバム未収録)も大ヒット。ただし賛否両論が起こる。

年末に、再びキャニオン・レコードに移籍し、アルバム『NO GIMMICK』を発表。

 

<1985>

引き続きニューヨークで、アルバム『HUNGRY BOY』を谷平が抜けた 3 人でレコーディング。

 

<1984>

アメリカでの活動を目指し、EPIC ソニー離脱。インディーズレーベル「KIDS POWER」を設立し、アルバム『ROCK & ROLL WILL NEVER DIE !!』を完成。

 

<1983>

EPIC ソニーへ移籍。湯川は脱退し、勝せいじが加入。リック・デリンジャーのプロデュースにより、アルバム『HEART BREAK KIDS』をリリース。

更にアメリカでの活動を視野に、ミニアルバム『Yes! We are KODOMO BAND』、シングル『JUKE BOX ROCK’N’ ROLLER』をリリース。

 

<1982>

子供の日にライブ・アルバム『DYNAMITE L・I・V・E』

 

<1981>

1st アルバムから半年の期間で、2nd アルバム『Power Rock Generation』を発表。

さらに半年後にリリースを迫られるが、さすがに大変で「4 曲を3回に分けて毎月出す」という異例の形式となり、アルバム『GIANT(HOP、STEP、JAMP)』が完成。

 

<1980>

キャニオンレコード(現:ポニー・キャニオン)から 1st アルバム『WE LOVE 子供ばんど』でデビュー。湯川が正式メンバーとなる。

 

<1979>

『EastWest』に出場しグランプリを受賞。

個人でも、うじき、谷平がベスト・ギタスト賞を、山戸がベスト・ドラマー賞を受賞。湯川トーベンは助っ人として参加。

 

<1976>

ロックバンドなど、まだまだドマイナーな時代。「受験に集中」カタギの英語教師を目指すと、まず大友(G)が脱退。

続いてテクニック抜群の豊田(D)が、プロバンド『コスモス・ファクトリー』に引き抜かれ、いち早くレコードデビュー。

バンドいちの軟派男・日詰もソロの誘いを受け、「これでオンナにモテる!」と音楽プロダクション入りを目指す。(後にソロ・デビュー、『TMネットワーク』のサポート・メンバーetc)うじきただ一人となってしまい、バンドは空中分解。。

うじき、厳格な父からも勘当寸前。高校生の分際で、金もないのに安酒を煽る、八方ふさがりのすさんだ日々に突入。

 

<1975>

「世界を制覇するバンドになるぜ!」大口を叩きながら、活動は年に数回、自主コンサートや学園祭のみで、あとはロック喫茶に入り浸り。コーヒー代も、友だちにたかる始末。見かねた大友のクラスメート、野尻はっちが「プロになるには、オリジナル曲が必要!」と助言。

しかし、さっぱり進展のなさに業を煮やし、「あたしが作る!」と書き上げたのが、記念すべきオリジナル第一号『のら猫』。(歌詞に当時の状況が読み取れる)以降、はっちと大友中心にオリジナル曲が生まれ、ようやく曲作りのおもしろさに気付いたうじきも参加。

ファースト・アルバム収録曲は、ほとんどこの時期に出来上がった。オリジナル曲をひっさげ、周辺高校の学園祭荒らしを敢行。自前の学園祭コンサートの前座は、後輩の北島健二、織田哲郎のバンドだった。

 

<1974>

前年に来日した、ロック魂ほとばしる『HUMBLE PIE』に絶大な影響を受け、授業をサボって猛練習、全曲『HUMBLE PIE』のコピーバンドに成長。

ボーカルのスティーブ・マリオットをまねて、うじきも裸にジーンズのオーバーオール、英語のMCまでそっくりそのままコピー。

狂信的なのめり込みと、常軌を逸した成り切り、高校生にしては飛び抜けて上手いリズム隊から、目黒、世田谷界隈で、名の知れたバンドとなる。

 

<1973>

うじきが中学からやっていたトリオ(豊田邦仁D日詰昭一郎B)に、高校進学で知り合った大友光悦(G)が加わり、学園祭で演奏することになる。

先輩からバンド名を『一年ボーイズ』か『トロリーバス』にしろと言われ、どっちも嫌だったので、『子供ばんど』と命名。

持ち時間20分、レパートリーは中学時代からやっていた『GRAND FUNK RAILROAD』や『LED ZEPPELIN』、『キャロル』のコピー。

公式サイト http://kodomoband.jp/

TOPへ